旧角間川町は、旧大曲市の南部、地形的には雄物川中流右岸に位置している。町域の東側を横手川が北流し、旧横手川は町域の北部を西流し雄物川に合流している。ここが船着場であった。
明治8年角間川村は門ノ目、新角間川を合併、明治22年以降も独立の自治体として存続した。昭和39年角間川は町制を施行した。昭和30年角間川町は平鹿郡から分離して大曲市に合併した。平成17年に大曲市を含む8つの市町村が合併したことで、現在は大仙市の大字名となっている。
文禄3年(1594)の「中郡村々書上写」(中世文書)に、平鹿郡河隅川むら240石とあり、内川の渡し 中町を含み、地船5艘を擁し、舟運の関銭を徴収、六郷氏領として家臣幡江氏の支配する村と記載されている。また、『永慶軍記』に角間川と金沢西根の大保四十二館の間の横手川の渡しを大館の渡しといったとある。上記の資料からも、角間川は雄物川・横手川沿いに位置し、雄勝・平鹿・仙北地域に通ずる水運の要地であった。
17世紀後半になると角間川は水運に恵まれ。雄勝・平鹿地域の物資の集散地として、また土崎港への交易の中継港として、経済的に重要な位置を占めるようになった。
寛文4年(1664)に、3と7の六斎市が開かれ、角間川村は町と呼ばれるようになった。寛文八年諏訪神社勧請されている。享保15年(1730)の記録に、角間川の東は金沢西根村支郷大久保村と横手川で境、西は内小友村支郷宮林村と雄物川で境、北は藤木村支郷八圭村村と横手川で境となっており、それぞれ渡し場があったとされる。