概要

 角間川盆踊りは、毎年8月16日に行われている、角間川盆踊り保存会が主催する盆踊り大会である。昭和42年6月21日に旧大曲市無形民俗文化財に指定され、現在は、大仙市指定無形民俗文化財となっている。角間川本通りの本郷家、北島家、荒川家の黒塀前で、道路に篝火を焚いて踊られる。振り付けは1番と2番があり、お囃子は大太鼓と小太鼓、横笛による。平成17年9月、秋田デジタルコンテンツ協議会により「秋田の踊り20選」に選ばれ、DVDが制作された。

 

 最近では、盆踊り保存会によるお囃子の合間に、伝統文化継承活動に取り組んでいる角間川小学校の児童と、大曲南中学校の生徒によるお囃子も行われている。お囃子担当以外の児童・生徒は踊り手として参加し、角間川盆踊り大会の盛り上げに一役買っている。

 

歴史

 現在の角間川盆踊りが創作されたのは昭和初期である。そこに至るまでの歴史を伝え聞くところによれば、藩政期には、能登半島辺りから土崎経由で角間川に移り住んだ人たちが、盆踊りという文化を角間川に伝えたとされている。角間川は舟運により発展した町であるため、上方文化や江戸文化が移入しやすい環境であった。
 その後、明治初期には、「ソソリコ」と呼ばれる秋田音頭を真似た踊りが諏訪神社境内で行われていたようである。明治20年から明治37年にかけては、お盆の8月14日から20日の間、「仁輪伽(にわか)」と呼ばれる即興踊りが行なわれていた。町内単位で組を作り、太鼓や笛、三味線のお囃子をつけて町内を練り歩くように踊って回るスタイルであったようである。この仁輪伽は、明治37年以降は踊られていないらしく、その後は、昭和初期まで角間川では盆踊りが途絶えていた。

 

 現在の角間川盆踊りの原型になった踊りは、昭和5年、藤田庄八氏により創作されたものである。藤田庄八氏は明治4年、角間川東本町の生まれである。藤田氏は、芝居踊り六法と秋田音頭を参考に角間川盆踊りを創作したといわれている。
 昭和6年には、角間川全町青年団(団長は最上義広氏)主催による第1回全町盆踊り大会が町の通りで開催された。

 

 角間川盆踊りの創出と大会の実行には、地元名士の団体である北星会が関わっている。(北星会は、盆踊りでの活躍のほか、消防隊の結成、綱引き大会の実施、水難家庭の救助などの実績がある会であった。)

 

 その後、太平洋戦争が始まると、男性が少なくなった影響により女性の踊り手が多くなったことで、元は男踊りの仕上がりであった角間川盆踊りは難しい部分が省略されて、現在見られるような踊りになったと言われている。

 

踊り手の装い

 踊り手の装いは、基本的には、男女とも浴衣に草履を履き、編み笠を被るスタイルである。大曲南中学校の生徒は、揃いの半纏で参加する。現在、盆踊り保存会が着用する揃いの浴衣と帯は、昭和42年に角間川盆踊りが旧大曲市無形民俗文化財に指定されたことを記念して作られたものである。

 

角間川盆踊りデータ

開催場所:大仙市角間川町本通り
開催日:毎年8月16日 夜7時半頃から9時頃まで
主催:角間川盆踊り保存会
参加:どなたでも踊りの輪にお入りいただけます

参考文献
大曲市昔を語る会連絡協議会(編)『大曲市の歴史散歩』(大曲市、1977年)
石田秀雄『角間川盆踊りの誕生と普及』(自費出版、2007年)